Homiliae 19.5.1
Καὶ ὁ Πέτρος· ἐμοὶ δοκεῖ, ἐὰν ὑπὸ τοῦ Θεοῦ φανῇ γεγονὼς, μήπω δεῖν τὸν ποιήσαντα ὑπὸ μέμψιν εἶναι, μήπως τὸ χρήσιμον αὐτοῦ πάντων ἀναγκαιότερον εὑρεθείη·
ペトロが言った、「私の見るところ、たとえ彼が神によって造られたと分かったとしても、造った者がただちに非難を受けるべきだということにはならない。彼の有用性が、あらゆるものの中で最も必要なものだと分かるかもしれないからである。」
Homiliae 19.5.2
εἰ δὲ καὶ μὴ γεγονὼς ἀποδειχθείη, ὡς αἰεὶ ὤν, οὐδ᾽ ἐν τούτῳ ὁ δημιουργὸς μεμπτὸς ἢ μὴ τῶν ὅλων ἐστὶν ὁ κρείττων, εἰ καὶ ἀνάρχῳ ἀρχῇ τέλος [ἐπι]θεῖναι διὰ τὸ μὴ φύσιν ἔχειν οὐ δεδύ[νητ]αι, ἢ δυνατὸς ὤν οὐκ ἀναιρεῖ αὐ[τὸν], ἄδικον κρίνας ἀρχὴν μὴ εἰληφότι τέλος ἐπιθεῖναι, καὶ κακῷ πεφυκότι συγγνῶναι, διὰ τὸ ἄλλο τι γενέσθαι μὴ δύνασθαι, καὶ εἰ τοῦ γενέσθαι τὸ ἐπιθυμεῖν ἔχοι. εἰ δὲ ἀγαθὸν ποιῆσαι θέλων μὴ δύναιτο, καὶ οὕτως ἀγαθός ἐστιν, ὅτι θέλει μὲν, οὐ δύναται δέ·
「しかし、彼が生じたのではなく、常にあるものとして示されたとしても、この点でも造り主は非難されるべきではない。あるいは彼が万物に優る者ではないのか、という点についても同様である。すなわち、始まりのない起源には終わりを与えることができない――それはそのような本性を持たないからである――としても、あるいは、力があるにもかかわらず彼を滅ぼさないのだとしても、それは、始まりを受けなかったものに終わりを与えることを不正と判断し、生まれつき悪しき者を、たとえ他のものになりたいという願いを持っていたとしても、他のものになることができないゆえに、赦しているのだ、と解し得るからである。また、もし彼が善いことをしたいと望みながらできないのだとしても、それでもなお彼は善き者である。望みはしても、できないだけだからである。」
Homiliae 19.5.3
καὶ ἐν ᾧ ἀδυνατεῖ πάντων ἐστὶ δυνατώτατος, ὅτι μὴ ἑτέρῳ τὸ δυνατὸν καταλείπεται. εἰ δέ ἐστίν τις ἕτερος δυνατὸς, καὶ μὴ κατορθῶν, ἐν ᾧ δυνατὸς ὤν μὴ κατορθοῖ, πονηρὸς ὤν ὡμολόγηται, μὴ παύων αὐτὸν, ὡς τοῖς ὑπ᾽ αὐτοῦ γινομένοις ἡδόμενος. εἰ δὲ οὐδ᾽ αὐτὸς δύναται, κρείττων ὁ πρὸς τὸ ἀδυνατεῖν κατὰ τὸ δυνατὸν ἡμᾶς εὐεργετεῖν οὐκ ὀκνῶν.
「そして、彼ができないところにおいてこそ、彼はすべてにおいて最も力ある者である。なぜなら、その可能性は他の誰にも残されていないからである。もし他に力ある者がいて、それでいて成し遂げないのであれば、力がありながら成し遂げないその点において、その者は悪しき者であると認めざるを得ない。悪しき者によってなされることを喜んでいるかのように、それを止めないからである。だが、もしその者にもできないのであれば、できないことに関しては劣っていても、できる範囲で我々に恵みを施すことを厭わない方の方が、まさっているのである。」