Homiliae 11.31.1
Ἀλλ᾽ ἐρεῖ τις ὑμῶν· χρὴ οὖν ἡμᾶς ποιεῖν ὅσα ἐν εἰδώλοις ἐποιοῦμεν; φημί σοι, οὐχ ὅλα, ἀλλ᾽ ὅσα καλῶς ἐποιεῖτε, καὶ ἐνταῦθα πλεῖον. ὅ τι γὰρ ἂν καλῶς γίνηται ἐν τῇ πλάνῃ, ἀπὸ τῆς ἀληθείας ἤρτηται, ὡς εἰ καί τι ἐν τῇ ἀληθείᾳ κακῶς γένοιτο, ἀπὸ τῆς πλάνης ἐστίν. ἀπολάβετε οὖν ὑμῶν πανταχόθεν τὰ ἴδια, μὴ τὰ ἀλλότρια, καὶ μὴ λέγετε, εἴ τι ποιοῦσιν οἱ πεπλανημένοι καλόν, ποιεῖν οὐκ ὀφείλομεν. τούτῳ γὰρ τῷ λόγῳ, ἐὰν μὴ φονεύῃ τις εἴδωλα σέβων, φονεύειν ὀφείλομεν, ὅτι ὁ ἐν πλάνῃ ὤν οὐ φονεύει.
「しかし、諸君のうちの誰かはこう言うだろう、『それでは、我々は偶像のもとで行っていたことをすべて行うべきなのか』と。私はお前に言う、すべてではなく、諸君が善く行っていたことを、である。しかもここではさらに多く、である。というのも、迷いのうちにあってさえ善く行われることは、真理から発しているのであり、たとえ真理のうちにあっても悪しく行われることがあるとすれば、それは迷いから来ているのである。それゆえ、諸君はあらゆる方面から、自分自身に属するものを取り戻せ、他人のものではなく。そして、『迷える者たちが何か善いことを行うならば、我々はそれを行うべきではない』などと言うな。この理屈でいくと、もし偶像を礼拝する者が人を殺さないならば、我々は殺すべきだ、ということになってしまう。迷いのうちにある者は人を殺さないからである、という理由で。」