- 生没
- — – —
- 地
- —
- 公開
- 125 作品 · 19500 節
この名について
これは一人の人物ではない。ミーニュ版『ラテン教父全集』は、著者を特定できない作品に *Auctor incertus*(作者不詳)と記す。本サイトはその表記をそのまま用いているので、このページに並ぶ作品どうしに、書き手の同一性は無い。
束ねているのは帰属の欠如だけである。論説もあれば裁判の記録もあり、成立の事情も文種も揃わない。読むときは作品ごとに独立したものとして扱ってほしい。
ミーニュが *Auctor incertus (Cornelius papa?)* のように括弧で候補を添えている場合もある。それは古い写本や近代以前の版が立てた推定であって、確定した帰属ではない。本サイトはそうした推定を著者名として採らない。
ギリシア語の作品も含む
**この項はもともとミーニュ版『ラテン教父全集』の *Auctor incertus* を写したものだった。だがギリシア教父の側にも、名の伝わらない作品がある。本サイトが収めているのは八篇である——『クレメンス講話集』『バルナバの手紙』『ディダケー』『ポリュカルポス殉教録』『ディオグネトスへの手紙』、そして『クレメンス講話集』の前に置かれた三文書、『ペトロのヤコブ宛書簡』『誓約』『クレメンスのヤコブ宛書簡』。帰属の欠如という一点だけで束ねている**のは同じなので、ここにまとめている。
ギリシア語側の八篇は、ミーニュの分類によるものではない。『バルナバの手紙』は使徒バルナバの名を冠するが彼の作ではなく、『ディダケー』は「十二使徒の教訓」と題するが使徒の作ではない。『ポリュカルポス殉教録』はスミュルナ教会が書き送った手紙で、書写の系譜は末尾に記されているが、最初の書き手の名は伝わらない。『ディオグネトスへの手紙』は、宛先のディオグネトスが誰かも、書き手が誰かも分からない。伝わったのはただ一つの写本を通してであり、その写本は1870年にストラスブールで焼失した。今読めるのは、焼ける前に取られた写しである。
『ペトロのヤコブ宛書簡』『誓約』『クレメンスのヤコブ宛書簡』の三篇は、『クレメンス講話集』の枠を成す前書きである。写本では講話集の本体(全20巻)の前にこの順で置かれ、三つで一続きの手続きを述べる——ペトロが自分の宣教の書をヤコブに託し(『ペトロのヤコブ宛書簡』)、書を受け取る者に六年の吟味と誓約を課し(『誓約』)、クレメンスがペトロの死とローマの座の継承をヤコブに報告する(『クレメンスのヤコブ宛書簡』)。本サイトは四つを別々の作品として立てているが、読むときは一続きのものとして扱ってほしい。引用の略号も Ep. Petr.・Contest.・Ep. Clem.・Hom. と四立てにしてある。
なぜ帰属が失われたのか
三世紀のラテン語キリスト教文書は、著者名を掲げずに書写され、回覧されるのが普通だった。書簡や裁判記録のように、そもそも著述として書かれていない文章は、なおさら名を必要としない。
加えて、名のある著者の全集に付録として綴じ込まれる過程で、もとの帰属が消えることがある。ここに入る作品の多くは、キプリアヌスの著作集の付録として伝わったものである。中世の写本は、キプリアヌスの真作と付録とを必ずしも区別して写さなかった。
近代の校訂——Hartel の CSEL 3.3(1871年)が代表である——は、その付録を真作から選り分ける作業でもあった。ミーニュ版はそれ以前の刊行であり、選り分けの結果ではなく、選り分けが必要だったその状態を写している。
ここに入っている作品
『再洗礼について』(PL 3, 1183C–1204B)——256年前後、キプリアヌスとローマ司教ステファヌスが争った再洗礼論争のさなかに書かれた論説。異端者のもとで受けた洗礼を認めるか否かをめぐる、ステファヌス側の主張である。論争の当事者の一方の言い分がまとまった形で残っている、数少ない文書であり、書き手はおそらく北アフリカの司教だが、名は伝わらない。
『聖キプリアヌス裁判記録』(PL 3, 1497D–1506A)——258年、カルタゴでの二度の審問と処刑を記した記録。総督と被告のやり取りが問答の形でそのまま写されており、ローマの法廷記録の書式をなぞっている。目撃者の手によるものと見られる。
『聖キプリアヌス受難記(別本)』(PL 3, 1505C–1508A)——同じ出来事を語る別系統の短い記録。ミーニュは裁判記録に続けてこれを置いている。章に分かれておらず、判決の言い渡しで唐突に終わる。
『聖書正典についての断片(首部を欠く)』(PL 3, 173C–194A)——『ムラトリ正典目録』として知られるもの。新約聖書のどの書を教会が受け入れるかを列挙した、現存する最古の一覧である。2世紀後半の成立とされる。冒頭が失われており(それゆえ *acephalum*=首を欠く)、本文は文の途中から始まる。伝わった写本のラテン語は激しく崩れているが、それも含めてこの断片の姿である。
『ステファヌス一世小伝』(PL 3, 983B–986A)——ミーニュは Prooemium(序説)とだけ題しているが、中身はステファヌス一世の在位記録である。出自、在位の年月日、殉教、定めた事柄、叙階の数、埋葬地、空位の日数。『歴代教皇誌』に伝わる体裁と同じもので、78語しかない。
『聖ペルペトゥアとフェリキタスの受難』(PL 3, 13C–58A)——203年のカルタゴ。現存する古代キリスト教文書のうち、女性が自分で書いた文章を含む唯一のものである。第I–III章はペルペトゥア本人の獄中日記で、彼女の一人称で書かれている。父との争い、乳飲み子、梯子の幻、死んだ弟ディノクラテスのための祈り。第IV章は同じく獄中のサトゥルスが自分で記した幻、第V–VI章は編者が処刑の場面を伝える。編者は序文で、新しい証しも古い証しに劣らないと弁じている。