Adversus Arium Libri Quatuor 2.5.1
Nunc videamus utrum ibi, ubi legimus, aliud sinificet, ὑπόστασις quam οὐσία. Multi enim aestimant copias atque fortunas significari hoc verbo, ὑπόστασις scilicet; sed si dixit: Si stetissent in ὑποστάσει Domini, vidissent Verbum ejus (Jer. XXIII, 22, sec. LXX) .
PL 8, 1092Dそれでは今、我々が読むその箇所において、ヒュポスタシスがウーシアとは別のことを意味しているかどうかを見よう。多くの者は、この語、すなわちヒュポスタシスによって財産や資産が意味されると考えている。しかし、こう言われている。「もし彼らが主のヒュポスタシスのうちに立っていたなら、その言葉を見ていたであろう」(エレミヤ23:22、七十人訳)。
Adversus Arium Libri Quatuor 2.5.2
Quod heic intelligimus ὑπόστασιν Domini, nisi id quod est Deus? Est autem Deus spiritus, lumen, potentia, omnipotens, et hujusmodi talia.
PL 8, 1093Aここで我々が理解する主のヒュポスタシスとは、神であるところのもの以外の何であろうか。しかし神とは、霊であり、光であり、力であり、全能なる者であり、そのような類のものである。
Adversus Arium Libri Quatuor 2.5.3
Hic qui stat et intelligit, non autem erat qui intelligit, stat ergo: intelligens autem Deum intelligit et videt Λόγον Dei filium; manifestum ergo hanc Dei esse ὑπόστασιν, quia intellecta et Verbum intelligitur, simul enim sunt, et hoc est ὁμοούσιον.
PL 8, 1093Aここで立って知解する者は、〔単に〕知解する者で「あった」のではなく、それゆえ立っているのである〔冒頭の non autem erat qui intelligit, stat ergo の構文は定かでない〕。そして知解する者は神を知解し、神の子であるロゴスを見る。したがって、これが神のヒュポスタシスであることは明らかである。というのも、知解されたものとともに言葉も知解されるからであり、両者は同時にあり、これがホモウシオスだからである。
- ホモウシオス(ὁμοούσιος、ラテン語 homousion/unius substantiae)=「同一実体の」。ニカイア信条(325年)が、子は父と「同一実体」であると告白した語。子が父と同じ一つの実体をもつことを言う。聖書に無い語であり、父と子の区別を消す(サベリオス的な)理解を招くとして、東方の多くの司教に警戒された。
Adversus Arium Libri Quatuor 2.5.4
Hoc et iterum dicit: Quia si stetissent in mea ὑποστάσει, et verbum meum audissent. Supra videre; heic autem posuit utrumque, hoc est quo intelligere.
PL 8, 1093Aこれはまた次のようにも言われている。「もし彼らが私のヒュポスタシスのうちに立っていたなら、私の言葉を聞いていたであろう」と。上では「見る」であったが、ここでは両方――すなわち何によって知解するか――が置かれている。
Adversus Arium Libri Quatuor 2.5.5
Is enim rem intelligit, qui in rei substantia stat, id est, in primo fonte rei, ut omnia quae sunt ejus intelligat. Quid deinde? cum alibi vel in Davide, vel in Evangelio posita est et lecta ὑπόστασις, numquid aliud quam οὐσία intelligitur?
PL 8, 1093Aというのも、事物の実体のうちに立つ者、すなわち事物の第一の泉のうちに立つ者こそが、その事物を知解するのであり、それに属するすべてのものを知解するからである。それでは次に、他の箇所――ダビデにおいてであれ、福音書においてであれ――にヒュポスタシスが置かれ読まれるとき、それはウーシア以外の何かを意味するのだろうか。
Adversus Arium Libri Quatuor 2.5.6
Ὑπόστασις mea, inquid David (Psalm. CXXXVIII, 15) : de Deo utique, Ὑπόστασις mea in inferioribus terrae.
PL 8, 1093B「私のヒュポスタシス」とダビデは言う(詩篇138:15)。すなわち神について、「私のヒュポスタシスは地の深みにあった」と。
Adversus Arium Libri Quatuor 2.5.7
Dicit enim: occultum se nemo credat, quia utique sum et omne quod sum et substantia mea, et in inferioribus terrae; ubique est enim Deus, vel spiritus Dei, quae Dei substantia est.
PL 8, 1093Bすなわちこう言っているのである。誰も彼が隠れていると思ってはならない。私は確かに存在し、私であるものすべて、私の実体は、地の深みにもある、と。神はあらゆるところにいるからである。あるいは神の霊が、というべきか。それが神の実体である。