アンティオキアのイグナティオス?–110年頃

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Eph, Caput III エフェソス人へ 第III章

Ignatius of Antioch · Epistulae septem · 2 sectiones

Epistulae septem Eph.3.1

1

Οὐ διατάσσομαι ὑμῖν ὡς ὤν τις. εἰ γὰρ καὶ δέδεμαι ἐν τῷ ὀνόματι, οὔπω ἀπήρτισμαι ἐν Ἰησοῦ Χριστῷ: νῦν γὰρ ἀρχὴν ἔχω τοῦ μαθητεύεσθαι, καὶ προσλαλῶ ὑμῖν ὡς συνδιδασκαλίταις μου. ἐμὲ γὰρ ἔδει ὑφ̓ ὑμῶν ὑπαλειφθῆναι πίστει, νουθεσίᾳ, ὑπομονῇ, μακροθυμίᾳ.

私は、何者かであるかのように諸君に指図しているのではない。たとえこの名のゆえに縛られていても、私はいまだイエス・キリストにあって全うされてはいないからである。今はまだ弟子となることの初めにあるにすぎず、私は諸君に、私と共に学ぶ者たちに語るように語りかけている。実に、私は諸君の手によって、信仰・訓戒・耐え忍び・忍耐という油を塗られるべきであった。

Epistulae septem Eph.3.2

2

ἀλλ’ ἐπεὶ ἡ ἀγάπη οὐκ ἐᾷ με σιωπᾶν περὶ ὑμῶν, διὰ τοῦτο προέλαβον παρακαλεῖν ὑμᾶς, ὅπως συντρέχητε τῇ γνώμῃ τοῦ θεοῦ. καὶ γὰρ Ἰησοῦς Χριστός, τὸ ἀδιάκριτον ἡμῶν ζῆν, τοῦ πατρὸς ἡ γνώμη, ὡς καὶ οἱ ἐπίσκοποι, οἱ κατὰ τὰ πέρατα ὁρισθέντες, ἐν Ἰησοῦ Χριστοῦ γνώμῃ εἰσίν.

しかし、愛が私を諸君について沈黙させないので、私はあらかじめ諸君に勧めることに取りかかった——諸君が神の考えに一致して進むように、と。実に、イエス・キリストは、我々の分かつことのできない命であり、父の考えである。ちょうど、地の果てに至るまで定められた監督たちもまた、イエス・キリストの考えのうちにあるのと同じである。