Epistulae septem Eph.15.1
Ἄμεινόν ἐστιν σιωπᾶν καὶ εἶναι, ἦ λαλοῦντα μὴ εἶναι. καλὸν τὸ διδάσκειν, ἐὰν ὁ λέγων ποιῇ. εἶς οὖν διδάσκαλος, ὃς εἶπεν, καὶ ἐγένετο: καὶ ἃ σιγῶν δὲ πεποίηκεν ἄξια τοῦ πατρός ἐστιν.
黙してあることは、語ってあらぬことにまさる。語る者がそのとおりに行うのであれば、教えることは良い。それゆえ、教師はただ一人である。その方は語り、そしてそのとおりになった。そして、その方が黙して行ったことどもも、父にふさわしいものである。
Epistulae septem Eph.15.2
ὁ λόγον Ἰησοῦ κεκτημένος ἀληθῶς δύναται καὶ τῆς ἡσυχίας αὐτοῦ ἀκούειν, ἵνα τέλειος ᾖ, ἵνα δἰ ὦν λαλεῖ πράσσῃ καὶ δἰ ὦν σιγᾷ γινώσκηται.
イエスの言葉をまことに身につけている者は、その方の沈黙をも聞き取ることができる。それは、その者が全き者となり、語ることによって行い、黙することによって知られるためである。
Epistulae septem Eph.15.3
οὐδὲν λανθάνει τὸν κύριον, ἀλλὰ καὶ τὰ κρυπτὰ ἡμῶν ἐγγὺς αὐτῷ ἐστιν. πάντα οὖν ποιῶμεν ὡς αὐτοῦ ἐν ἡμῖν κατοικοῦντος, ἵνα ὦμεν αὐτοῦ ναοὶ καὶ αὐτὸς ἐν ἡμῖν θεὸς ἡμῶν: ὅπερ καὶ ἔστιν καὶ φανήσεται πρὸ προσώπου ἡμῶν, ἐξ ὦν δικαίως ἀγαπῶμεν αὐτόν.
主から隠れているものは何もなく、我々の隠されたことどもさえも、その方には近くにある。それゆえ、我々は、その方が我々のうちに住まわれているかのように、すべてを行おう。それは、我々がその方の神殿となり、その方が我々のうちにあって我々の神であるためである。これは事実そうであり、また我々の面前に現れるであろう——そのことによって、我々は正しくその方を愛するのである。