- 生没
- — – 110年頃
- 地
- アンティオキア(シリア)
- 公開
- 1 作品 · 205 節
経歴
シリアのアンティオキアの監督であった。それ以外に確かなことはほとんど無い。
分かっているのは最期のことだけである。獣刑を宣告され、十人の兵士に護送されて陸路小アジアを通り、ローマへ送られた。その道中、迎えに来た諸教会の使者に託して七通の手紙を書いた——スミュルナから四通、トロアスから三通。その数週間後にローマの円形闘技場で死んだと見られる。
自らを Θεοφόρος(神を担う者)と呼ぶ。これは称号なのか綽名なのか、本人がそう名乗ったことしか分からない。
七通の手紙
書き手が数週間後に死ぬと知っている文書は、古代キリスト教にほとんど無い。
六通は諸教会に宛てて一致と監督への従順を説き、仮現論——キリストは受難したように見えただけだという主張——を激しく論駁する。一通はスミュルナの監督ポリュカルポス個人に宛てた勧告である。
『ローマ人への手紙』だけが異質である。ローマの信徒が有力者に働きかけて自分を助けようとすることを、繰り返し、激しく拒む。「私を野獣の餌にしてくれ」「私は神の麦である」。この手紙は、殉教を願う言葉として古代を通じて読まれ、また論じられてきた。
文章は急いで書かれている。分詞が宙に浮き、主語が変わり、文が終わらないまま次へ移る。その乱れ自体が、この手紙の書かれた事情を伝えている。
何が残ったか
教会の三職——監督・長老団・奉仕者——を繰り返し語る最初期の文書である。この秩序を一致の要とする主張は、のちの教会制度の議論の出発点になった。
『スミュルナ人への手紙』8.2 に「公同の教会」という語の現存最古の用例がある。ただしこれは教派の名ではなく、個々の集会に対する〈全体としての教会〉を言う普通の形容詞である。
本文の伝わり方は複雑である。4世紀に大幅な加筆を受けた長編(十三通)が広まり、17世紀までそれが真作と信じられていた。本サイトが訳すのは、現在真正とされる中編の七通である。