断片の伝わる二世紀の著作家たち2世紀

Patristica — 教父文献 日本語対訳 · Patres Graeci

The second-century writers whose fragments Eusebius preserved

Fragmenta saeculi secundi apud Eusebium servata

断片の伝わる二世紀の著作家たち『エウセビオス『教会史』に伝わる二世紀の断片』

Collection
Patres Graeci
Locus
Eus. HE 2.23–6.12
Date
2世紀(伝えるエウセビオスは4世紀前半)
Extent
19 capita · 166 sectiones

典拠

版
Perseus Digital Library, edition perseus-grc2 — printed source: K. Lake / J. E. L. Oulton / H. J. Lawlor (edd.), Eusebius, The Ecclesiastical History (Loeb Classical Library), 1926–32
引用形
Eus. HE 2.23–6.12
本文の由来
近代の校訂版による。ミーニュ『ギリシア教父全集』ではない。レイク/アウルトン版(Loeb, 1926–32)の Perseus 版翻刻を底本とし、エウセビオス『教会史』の19章を章まるごと切り出した(2.23・3.19・3.20・3.31・3.32・3.39・4.3・4.6・4.8・4.22・4.26・4.27・5.5・5.13・5.18・5.19・5.24・5.25・6.12)。巻・章・節の番号はすべてエウセビオスのもの(版のもの)であるので、Eus. HE 3.39.15 で『教会史』に戻れる。★これはエウセビオスの本文であり、その中に二世紀の断片が伝わっている。収めたのは章まるごと・エウセビオスの地の文込みで、8,097語のうち断片の著者自身の言葉は半分に満たない(4.6・4.27・3.19・5.5 の4章には、その著者の言葉が一語も無い——各行の direct_quotation: false がそう宣言している)。引用だけを抜いて地の文を注に落とすミーニュ/ラウスのやり方は採らない。ライトフット(1891)・フンク(1901)以降の版はみな章まるごとで刷る(docs/pg-sources/fragmenta-conventions.md)。★その結果、本サイトの本文はミーニュの欄より長い。ミーニュは引用だけを刷って地の文を落とすので、同じ章でも収める語数が違ってくる。ヘゲシッポスで測ると、ミーニュが刷るのは1,442語、本サイトが収めるのは2,837語で、ほぼ二倍である(docs/pg-volumes/fragmenta-he-hegesippus.md)。欄と突き合わせる読者は、必ずこの差に出会う。★ミーニュの断片のうち、ここに入らないものがある。パピアス 9+1のうち3、メリトン 10のうち3、ヘゲシッポス 6のうち5(VI はフォティオス経由で、ギリシア語がどこにも残らない)、パンタイノス 2のうち0、Anonymi 11のうち0、アリスティデスは本文が無い。入っていないものがあるから、題に「エウセビオス『教会史』に伝わる」と入れてある。★第5巻の虫食いは残る。5.14–5.17 は収めていない(理由は docs/pg-volumes/fragmenta-chapters.md §3)。モンタノス派の起こりは Eus. HE 5.14–5.17 に語られる。本サイトは未収である。この一行は負っている責任である——本サイトは既に Eus. HE 5.3.4 を公開しており、そこにモンタノス・アルキビアデス・テオドトスの名が訳出され、「かの者たちについて不一致が生じていた」と読める。その「不一致」が何だったかを説明する章が 5.14–5.17 である。しかもこの作品の 5.18(アポロニオス)・5.19(セラピオン)はそのモンタノス派論駁の続きにあたるので、本サイトはモンタノス派の話を、始まりを欠いたまま途中から収めていることになる。(4.27・5.18・5.19 の Φρύγες/κατὰ Φρύγας αἵρεσις が何を指すかは、章の中では説明されない。)★落とした章も宣言してある。scripts/eusebius_extract.py の NOT_TAKEN に、12章・4,542語を理由つきで残してある(4.7 707・5.16 1,216・5.28 871・6.13 346・4.13 279・5.17 261・4.11 536・3.11 111・3.16 58・4.21 55・5.14 65・5.15 37)。最大は HE 4.7(アグリッパ・カストル)の707語で、ミーニュが断片の見出しを立てず、章に直接引用が一つも無いので落とした。(docs/pg-volumes/fragmenta-chapters.md が「4,586語」「711語」とするのは旧底本 First1KGreek で数えた値である。上の数はいまの底本 Perseus で数え直したもの。)★5.25 の帰属はミーニュに合わせた宣言である。ミーニュは Theophili Fragmentum と単数で立てるが、原文はカイサリアのテオフィロス・ナルキッソス・カッシオス・クラロスらの教会会議の書簡である。★版は引用の境に <q> を打っている(この19章で106個)。配達物 raw/ogc/fragmenta-ii-saeculi.jsonl の各行に quotes(本文の中の文字の位置)として運んである。切り分けは校訂ではなく版の翻刻に属する。ミーニュでは PG 5, 1145–1400 の断片群のうち『教会史』を出典に持つ分に当たる。★ただし 5.24 に入るエイレナイオスの書簡だけは、ミーニュでは PG 5 の側に無い。この章はポリュクラテスとエイレナイオスの二人を持ち、エイレナイオスの分はローマの監督ウィクトルに宛てた書簡の断片で、その書簡はこの章にしか残らない。ミーニュはそれを PG 5 の断片群に置かず、エイレナイオスの巻すなわち PG 7 の側に置いている。この作品の欄を PG 5 だけで探すと、この一人ぶんは見つからない(docs/pg-volumes/fragmenta-chapters.md §4.3、docs/pg-volumes/fragmenta-he-5-24-6-12.md)。

目次

全文を1ページで表示