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断片の伝わる二世紀の著作家たち Auctores fragmentorum apud Eusebium servatorum

The second-century writers whose fragments Eusebius preserved · 著作が一つも独立には残らず、エウセビオス『教会史』に引かれた分だけが伝わった、十二人の書き手。

ギリシア教父二世紀断片エウセビオス経由
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1 作品 · 166 節

この名について

これは一人の人物ではない。エウセビオス『教会史』の19の章に言葉が伝わる、十二人の二世紀の著作家をまとめた項である。彼らの著作は一つも独立には残らなかった。エウセビオスが引いた分だけが残った。

「作者不詳」ではない。本サイトには帰属の欠如で束ねた項(*Auctor incertus*)が別にあるが、ここに並ぶ人々の名は伝わっている。分からないのは名ではなく、著作の残りである。

エウセビオスを著者に立ててもいない。本文の49.4%は彼自身の言葉だが、この19章が一個の作品として立っているのは、そこに断片が伝わっているからである。本サイトは同じ判断を既に一度している——『ウィエンヌとリヨンの教会の手紙』もエウセビオス『教会史』に引かれた形でしか残らないが、著者はリヨンとウィエンヌの二つの教会であって、伝えたエウセビオスではない。同じ扱いをここでも通した。

いずれ『教会史』全10巻を立てる日には、その作品の著者はエウセビオスになる。巻・章・節の番号がエウセビオスのものなので、そのときこの19章はそのまま吸収される。

十二人を別々の著者として立てることはできない。一つの章が二人ぶんを供給するからである——Eus. HE 5.19 はセラピオンとアポリナリオス、Eus. HE 5.24 はポリュクラテスとエイレナイオスの言葉を、同じ章の中に持つ。著者ごとに立てれば章を切り分けねばならず、それは校訂である。行ごとの帰属は、作品の側の宣言(fragment_of)が持っている。

十二人

ヘゲシッポス(2.23・3.19・3.20・3.32・4.8・4.22)——五巻の『覚書』を書いた。二世紀後半。主の兄弟ヤコブの殉教を伝える最長の断片は、この人のものである。

パピアス(3.39)——ヒエラポリスの監督。『主の言葉の解説』五巻を書いた。マルコとマタイの福音書の成り立ちを語る最古の証言がここにある。

メリトン(4.26)——サルディスの監督。皇帝への弁明、『過越について』、旧約の『抜粋』の三つが、同じ章に引かれている。

コドラトス(4.3)——ハドリアヌス帝に弁明を献じた。現存する最古のキリスト教護教文書とされる。残るのは49語である。欧文の版では Quadratus。

ポリュクラテス(3.31・5.24)——エフェソスの監督。復活祭の日付をめぐってローマの監督ウィクトルに書き送った手紙が、二つの章に分かれて残る。

セラピオン(5.19・6.12)——アンティオキアの監督。『ペトロによる福音書』を検分した書簡は、外典の受容を伝える早い記録である。

ロドン(5.13)——タティアノスの弟子。マルキオン派の老アペレスと交わした問答を自ら記している。

アポロニオス(5.18)——モンタノス派を論駁した。

アポリナリオス(4.27・5.5・5.19)——ヒエラポリスの監督。三つの章のどこにも、彼自身の言葉は無い。著作目録と、他人の報告があるだけである。欧文の版では Apollinaris。

ペラのアリスト(4.6)——『ヤソンとパピスコスの対話』の著者とされる。この章に彼の言葉は一語も無い。エウセビオスがバルコケバス(欧文の版では Bar Kokhba)の乱の記述の典拠として名を挙げるだけである。

カイサリアのテオフィロス(5.25)——ミーニュは『テオフィロス断片』と単数で立てるが、原文はテオフィロス・ナルキッソス・カッシオス・クラロスらの教会会議の書簡である。アンティオキアのテオフィロスとは別人。

エイレナイオス(5.24)——『異端反駁』の著者。ここに入るのはローマの監督ウィクトルに宛てた書簡の断片で、その書簡はこの章にしか残らない。

このほか、同じ19章の中にヨセフス・ユスティノス・テルトゥリアヌス・ガイオスの言葉と、エイレナイオス『異端反駁』からの引用が入る。いずれも別に作品が残っている人々である。

本文の半分はエウセビオスである

19章8,097語を語り手で割ると、こうなる。

断片の著者たち自身の言葉 43.7%/エウセビオスの地の文 49.4%/他の著者 6.8%。

そして四つの章には、その章が入る理由となった著者の言葉が一語も無い——3.19・4.6・4.27・5.5 の744語(束の9.2%)である。版が引用の境に打った印(<q>)でも確かめてある。3.19・4.6・4.27 は0個、5.5 の1個はテルトゥリアヌスの言葉である。

だからこの作品の題は「誰の断片か」ではなく「どこに伝わったか」を名乗っている。「エウセビオス『教会史』に伝わる二世紀の断片」という題は、これはエウセビオスの本文であり、その中に断片が伝わっていると言っている。一章ずつ著者の名で立てたときにだけ、看板の偽りになる。

収めたのは章まるごと、エウセビオスの地の文込みである。引用だけを抜いて地の文を注へ落とすラウス(1814)とミーニュ(1857)のやり方は採らない。ライトフット(1891)・フンク(1901)以降の版はみな章まるごとを刷る。フンクが『コドラトス断片』と題した項の本文の半分がエウセビオスの言葉であることを、彼は隠していない。

その結果、本サイトの本文はミーニュの欄より長い。ヘゲシッポスで測ると、ミーニュが刷るのは1,442語、本サイトが収めるのは2,837語で、ほぼ二倍である。

入っていないもの

「これで全部だ」と読まないでほしい。ミーニュ『ギリシア教父全集』第5巻が刷る断片のうち、ここに入るのは一部である。

パピアス9+無番号1のうち3、メリトン10節のうち3、ヘゲシッポス6断片のうち5、パンタイノス2断片のうち0、エイレナイオス経由の無名の長老たち11断片のうち0(本文が古ラテン訳しか残らない)。アリスティデスは、ミーニュにも本サイトにも本文が無い。

ヘゲシッポスの断片VIは、ギリシア語がどこにも残っていない。フォティオス『文庫』を経由して伝わるもので、公開されている電子本文を全数当たって0件だった。入れなかったのではなく、入れられない。

メリトンは、現存する言葉の8.8%しか入っていない。最も重要な著作『過越について』——1940年に発見された完存の説教で、彼の言葉の77.4%を占める——は、開かれたライセンスの本文がまだ無い。ミーニュの時代には、この作品の存在自体が知られていなかった。

第5巻には虫食いが残っている。本サイトは『教会史』第5巻28章のうち10章を二つの作品に分けて収めており、残る18章・約5,500語は未収である。とりわけ——モンタノス派の起こりは Eus. HE 5.14–5.17 に語られるが、本サイトはこれを収めていない。『ウィエンヌとリヨンの教会の手紙』5.3.4 がモンタノス・アルキビアデス・テオドトスの名を出し、この作品の 5.18・5.19 がモンタノス派論駁の続きを収めているので、話の始まりだけが抜けている形になっている。

本サイトで公開している著作