Epistolae 2.0.1
Ego vero haereticorum libris legendis ac traditionibus ediscendis operam dabam, ad horam quidem exsecrandis illorum sententiis animum meum coinquinans, hanc tamen ex iis utilitatem percipiens, ut eos apud me refutarem, et multo amplius detestarer.
PL 5, 92A私はと言えば、異端者たちの書物を読み、その伝承を学び取ることに力を注いでいた。彼らの呪うべき教えによって、しばらくの間は自分の心を汚しもしたが、それでもそこから、彼らを自分自身のうちで論駁し、いっそう多く忌み嫌うようになるという益を得た。
Epistolae 2.0.2
Et cum frater quidam ex ordine presbyterorum me deterreret, ac vereretur ne eidem nequitiae coeno commiscerer; quippe animum meum contaminatum iri, aiebat et quidem vere, ut ipse sentiebam: visione divinitus missa confirmatus sum, et sermo ad me factus diserte mihi praecepit dicens: Lege omnia quaecumque in manus venerint: idoneus enim es qui singula corrigas ac probes: et hinc tibi primum credendi causa et occasio exstitit.
PL 5, 92Aそして、司祭団に属するある兄弟が私を思いとどまらせようとし、私が同じ悪の泥にまみれるのではないかと恐れた。実に私の心が汚されるだろうと彼は言ったが、それは私自身も感じていたとおり、まことのことであった。しかし私は、神から遣わされた幻によって力づけられた。私に向かって語りかけがあり、はっきりと私に命じてこう言った。『手にするものはすべて読め。おのおのを正し、吟味するにふさわしい者だからである。そしてこのことが、お前にとって、初めから信じることの理由と機縁ともなったのだ』。
Epistolae 2.0.3
Visionem hanc suscepi, ut quae apostolicae voci consentiret, quosque majori virtute praeditos ita compellanti: Estote periti numularii (I Thes., XXI, 21) .
PL 5, 92A私はこの幻を、使徒の声と一致するものとして受け入れた。その声は、より大きな力を授かった者たちに、こう呼びかけている。『汝ら、熟練した両替商であれ』(一テサロニケ21:21)。
- ミーニュは一テサロニケ21章21節と刷るが、同書は五章までである。引用の語句は聖書本文には見えず、古くから伝わる主の言葉として引かれるもので、注は同書5章21節を指すものと思われる。
Epistolae 2.0.4
Ἐγὼ δὲ καὶ τοῖς συντάγμασι καὶ ταῖς παραδόσεσι τῶν αἱρετικῶν ἐνέτυχον, χραίνων μέν μου πρὸς ὀλίγον τὴν ψυχὴν ταῖς παμμίαροις αὐτῶν ἐνθυμήσεσιν ὄνησιν δ' οὖν ἀπ' αὐτῶν ταύτην λαμβάνων, τὸ ἐξελέγχειν αὐτοὺς παρ' ἑμαυτῷ, καὶ πολὺ πλέον βδελύττεσθαι. καὶ δή τινος ἀδελφοῦ τῶν πρεσβυτέρων με ἀπείργοντος καὶ δεδιττομένου συμφύρεσθαι (al. συμφέρεσθαι) τῷ τῆς πονηρίας αὐτῷ βορβόρῳ· λυμανεῖσθαι γὰρ τὴν ψυχὴν τὴν ἑμαυτοῦ, καὶ ἀληθῆ γε λέγοντος, ὡς ἠσθόμην, ὅραμα θείπεμπτον προσελθὸν ἐπέῤῥωσέ με. καὶ λόγος πρός με γενόμενος προσέταξε διαῤῥήδην λέγων, πᾶσιν ἐντύγχανε οἷς ἂν εἰς χεῖρας λάβοις. διευθύνειν γὰρ ἕκαστα καὶ δοκιμάζειν ἱκανὸς εἶ. καί σοι γέγονε τοῦτο ἐξαρχῆς καὶ τῆς πίστεως αἴτιον. ἀπεδεξάμην τὸ ὅραμα, ὡς ἀποστολικῇ φωνῇ συντρέχον τῇ λεγούσῃ πρὸς τοὺς δυνατωτέρους, γίνεσθε δόκιμοι τραπεζῖται. [0091] Deinde, inquit Eusebius, nonnulla de omnibus haeresibus interlocutus subdit.
PL 5, 92A私はと言えば、異端者たちの書物にも伝承にも自ら当たった。しばらくのあいだは、彼らのこのうえなく汚らわしい考えによって自分の魂を汚しはしたが、それでもそこから、彼らを自分自身のうちで論駁し、いっそう多く忌み嫌うという益を得たのである。そして、司祭たちのうちのある兄弟が私を押しとどめ、その悪の泥そのものにまみれることを恐れさせた〔底本は別読 συμφέρεσθαι を併記する。συμφύρεσθαι に従った〕。自分の魂が損なわれるだろう、というのである。私も感じていたとおり、それはまことのことであった。そのとき、神から遣わされた幻が現れて私を力づけた。そして私に臨んだ語りかけが、はっきりとこう命じて言った。『手に取るものはすべて読め。おのおのを正し、吟味するに足る者だからである。そしてこのことは、お前にとって、初めから信仰そのものの因ともなったのだ』。私はこの幻を、使徒の声と合致するものとして受け入れた。その声は、より力ある者たちに向かってこう言っている。『吟味に堪える両替商となれ』。それから、とエウセビオスは言う、あらゆる異端について少しく論じたのち、次のように付け加えている。
Epistolae 2.0.5
Hanc ego regulam et formam a beato papa nostro Heracla accepi. Eos enim qui ab haeresibus veniebant, etiamsi ab Ecclesia defecissent, immo nec defecissent, sed cum coetus fidelium frequentare viderentur, insimulati essent quod perversae doctrinae magistros audituri adirent, ejectos ab Ecclesia, post multas preces non prius admisit, quam quaecumque ab adversariis audierant, palam publiceque enarrassent.
PL 5, 92Cこの規範と型を、私は我々の祝福された父ヘラクラスから受け継いだ。すなわち、異端から来た者たちについて——たとえ彼らが教会から離れていたとしても、いや離れていなくとも、信徒たちの集会にたびたび出入りしているように見えながら、誤った教えの教師たちのもとへ話を聞きに行っていたと告発された者たちについては——彼は教会から追い出したうえで、多くの懇願ののちも、彼らが敵対者たちから聞いたことのすべてを公然と人前で語り尽くすまでは、決して受け入れなかった。
Epistolae 2.0.6
Tum demum ad coetus fidelium eos admisit, nequaquam ab eis petens ut baptismum iterato susciperent. Quippe jam antea Spiritum sanctum ab ipso acceperant.
PL 5, 93Aそうしてようやく、彼は彼らを信徒たちの集会へ迎え入れたが、彼らに洗礼を改めて受けるようにと求めることは決してなかった。なぜなら、彼らはすでにそれ以前に、彼から聖なる霊を受けていたからである。
Epistolae 2.0.7
Τούτον ἐγὼ τὸν κανὸνα καὶ τὸν τύπον παρὰ τοῦ μακαρίου πάπα ἡμῶν Ἡρακλᾶ παρέλαβον. τοὺς γὰρ προσιὸντας ἀπὸ τῶν αἱρέσεων, καί τοι τῆς ἐκκλησίας ἀποστάντας, μᾶλλον δὲ οὐδὲ ἀποστάντας, ἀλλὰ συνάγεσθαι μὲν δοκοῦντας, καταμηνυθέντας δὲ ὡς προσφοιτῶντας τινι τῶν ἑτεροδιδασκαλούντων, ἀπελάσας τῆς ἐκκλησίας, δεομένους οὐ προσήκατο, ἕως δημοσίᾳ πάντα ὅσα ἀκηκόασι παρὰ τοῖς ἀντιδιατιθεμένοις, ἐξέφραταν· καὶ τότε συνήγαγεν αὐτῶν ἑτέρου βαπτίσματος· τοῦ γὰρ ἁγίου πνεύματος πρότερον παρ' αὐτοῦ τετυχήκεσαν. [0093] Rursus hac quaestione abunde ventilata subjicit.
PL 5, 93Aこの規範と型を、私は我々の祝福された父ヘラクラスから受け継いだ。すなわち彼は、異端から来る者たちを——たとえ教会から離れていたとしても、いや離れてはおらず、集会に加わっているように見えながら、異なる教えを説く者の一人のもとへ通っていると密告された者たちであっても——教会から追い払い、彼らが懇願しても受け入れなかった。彼らが、敵対する者たちのもとで聞いたことのすべてを公然と言い表すまでは、である。そしてそのときになって、彼らを集会に迎え入れたのであって、彼らについて別の洗礼を求めることは全くしなかった〔底本のギリシア語はここで語が落ちているらしく構文が取れない。隣欄のラテン語訳 nequaquam ab eis petens に拠って補った〕。なぜなら彼らは、すでにそれ以前に、彼から聖なる霊を受けていたからである。この問いを改めて十分に論じたのち、彼はさらに付け加えている。
Epistolae 2.0.8
Illud praeterea didici, non nunc primum apud Afros tantum hunc morem fuisse invectum, sed et multo antea superiorum episcoporum temporibus apud populosissimas ecclesias; idque synodis fratrum Iconii et Synadae habitis, necnon quam plurimis placuisse.
PL 5, 94Aさらに私はこのことも知った。この慣行が持ち込まれたのは、今アフリカ人たちのもとで初めてのことではなく、はるか以前、先代の司教たちの時代にも、最も人口の多い教会において行われていたこと、そしてこれが、イコニウムとシュナダで開かれた兄弟たちの教会会議において、また非常に多くの人々のもとでも、よしとされていたことである。
Epistolae 2.0.9
Quorum subvertens sententias, in jurgia eos et contentiones conjicere nolim. Dictum est enim: Non transferes terminos proximi tui, quos posuerunt patres tui (Deut., XIX, 14) .
PL 5, 94A彼らの決定を覆すことで、彼らを争いと確執に投げ込むことを、私は望まない。なぜなら、こう言われているからである。『汝の父祖たちが定めた、隣人の境界を移してはならない』(申命記19:14)。
Epistolae 2.0.10
Μεμάθηκα καὶ τοῦτο, ὅτι μὴ νῦν οἱ ἐν Ἀφρικῇ μόνον τοῦτο παρεισήγαγον, ἀλλὰ καὶ πρὸ πολλοῦ κατὰ τοὺς πρὸ ἡμῶν ἐπισκόπους ἐν ταῖς πολυανθρωποτάταις ἐκκλησίαις, καὶ ταῖς συνόδοις τῶν ἀδελφῶν, ἐν Ἰκονίῳ, καὶ Συνάδοις, καὶ παρὰ πολλοῖς τοῦτο ἔδοξεν. ὧν τὰς βουλὰς ἀνατρέπων, εἰς ἔριν καὶ φιλονεικίαν αὐτοὺς ἐμβαλεῖν οὐχ ὑπομένω. οὐ γὰρ μετακνήσεις, φησὶν, ὅρια τοῦ πλησίον σου, ἃ ἔθεντο οἱ πατέρες σου.
PL 5, 94A私はこのことも知った。すなわち、これを持ち込んだのは、いまアフリカにいる者たちが初めてではなく、はるか以前、我々より前の司教たちの時代にも、最も人の多い教会において、また兄弟たちの教会会議において、イコニウムでも、シュナダでも、また多くの者たちのもとでも、そのようによしとされた、ということである。彼らの決議を覆して、彼らを争いと言い争いへ投げ込むことに、私は耐えられない。『汝の父祖たちが定めた、汝の隣人の境を移してはならない』と言われているからである。