ギリシア教父アレクサンドリア司教
- 生没
- 190年頃 – 265年頃
- 地
- アレクサンドリア(エジプト)
- 公開
- 2 作品 · 92 節
経歴
オリゲネスの弟子。247年ごろアレクサンドリアの司教となり、デキウスとウァレリアヌスの二度の迫害を生き延びた。「大ディオニュシオス」と呼ばれる。
三世紀半ばの教会が抱えた問題のほとんどに、彼は当事者として関わっている。背教した者をどう受け入れるか、異端者の洗礼を認めるか、復活祭をいつ祝うか——キプリアヌスとローマ司教ステファヌスが正面から衝突した洗礼論争では、双方に書き送って調停に当たった。
サベリウス主義を斥けようとするあまり、子を父から引き離しすぎたと告発された。ローマ司教ディオニュシウスがこれを取り上げ、教会会議が開かれている。三位一体の言葉づかいが定まっていく途中の出来事であり、本サイトはその往復を PL 5 に収めている。
本サイトの本文について
彼はギリシャ語で書いた。ミーニュが『ラテン教父全集』に収めたのはラテン語訳である。本サイトはミーニュの紙面に従い、そのラテン語から訳している。ただしミーニュがエウセビオスのギリシャ語原文を並べて刷っている箇所では、既刊『異端者の洗礼について』の先例に従い、ギリシャ語から直接訳した。