Caput I
第I章PL 10, 545CIn haec num. 3: Et licet non sine aliquo aurium scandalo . . . . restiterint Orientales Anomoeis. Si diligenter sententia haec expensa esset, forte totius tractatus mei ratio non fuisset suspiciosa. Non enim tacui esse illic, quod non nisi cum scandalo esset audiendum.
PL 10, 545C第3節の次の箇所について:『そして、耳に多少の躓きを覚え……ながらではあったが、東方の人々はアノモイオイに抵抗した。』――もしこの文が注意深く吟味されていたなら、おそらく私の論述全体の趣旨が疑わしいとされることはなかったであろう。私は、そこに、躓きなしには聞かれえないものがあることを、黙っていなかったのだから。
Caput II
第II章PL 10, 545CInitio num. 13, post recitationem primi decreti Ancyranae synodi. Expositiones omnes ( Ancyranae synodi, quae hoc libro describuntur ), si quid habent criminis, intra se habent; caeterum non habere in publica facie existimantur. Sed quia scirem ea sola Sirmium esse delata ( f. eas solas delatas) .
PL 10, 545C第13節の初め、アンキュラの会議の第一の決議の朗読ののちの箇所について。――すべての提示は(この書に記されているアンキュラの会議のもの)、もし何か罪責があるとしても、それを自らの内に持つ。しかし、公の表面には持たないと見なされている。だが、私は、それらだけがシルミウムに運ばれたこと(おそらく「それらのみが運ばれた」)を知っていたので……。
Caput III
第III章PL 10, 545CRespicit ista num. 77: Exposita similis substantiae, quae homoeusion appellatur, fideli ac pia intelligentia.
PL 10, 545C次の第77節の箇所に関わる。『類似実体、すなわちホモイウシオスと呼ばれるものが、信仰にかない敬虔な理解をもって提示されて』
- ホモイウシオス(ὁμοιούσιος、ラテン語 homoeusion/similis substantiae)=「類似実体の」。350年代に、アンキュラのバシレイオスら東方の司教たちが唱えた語で、子は実体において父に「似ている」と言う。子を被造物とし、父に「似ていない」とする人々(アノモイオイ)を退けつつ、ホモウシオスへの警戒も保つ立場である。ホモウシオスとはギリシア語で一文字(ι)しか違わない。
Non puto quemquam admonendum, in hoc loco ut expendat, quare dixerim SIMILIS SUBSTANTIAE PIAM INTELLIGENTIAM, nisi quia intelligerem et impiam: et idcirco similem, non solum aequalem, sed etiam eamdem dixisse, ut neque similitudinem, quam tu, frater Lucifer, praedicari volueras, improbarem; et tamen solam piam esse similitudinis intelligentiam admonerem, quae unitatem substantiae praedicaret.
PL 10, 545Dこの箇所で、なぜ私が『類似実体についての敬虔な理解』と言ったのかを、誰かに考えさせる必要があるとは思わない。それは、不敬虔な理解もあることを私が理解していたからにほかならない。そして、それゆえに私は、類似を、等しいだけでなく同一であるとまで述べた。それは、兄弟ルキフェルよ、汝が宣べられることを望んでいた類似を、私が退けないためであり、それでいて、実体の一体性を宣べる類似の理解のみが敬虔であると、私が念を押すためであった。
Caput IV
第IV章PL 10, 546CIn mss. cum superiori uno tenore continuatum pertinet ad hoc num. 78: O studiosi tandem apostolicae atque evangelicae doctrinae viri . . . . quantam spem revocandae verae fidei attulistis?
PL 10, 546C諸写本では上の箇所と一続きに連ねられているが、次の第78節に関わる。『おお、ついに使徒と福音の教えに熱心となった人々よ……諸君は、真の信仰を呼び戻すことへの、どれほどの希望をもたらしたことか。』
In eo vero, quod laudans eos in invidiam deducor a quibusdam; parum intellectus sum. Non enim eos veram fidem, sed SPEM REVOCANDAE VERAE FIDEI attulisse dixi: ut sicut illi auditi sunt, ita et nos ex hoc contra Valentem et Ursacium possemus audiri, et coaptandus ad eos allocutionis sermo blandus nihil aliud, quam procacium conviciorum effugeret foeditatem; cum amarius atque etiam probrosius in consequentibus (praesertim num. 91) , occulta expositionum essem scandala proditurus.
PL 10, 546Cしかし、彼らを称賛したことによって、私が一部の人々から非難を受けているという点では、私は理解されていなかった。私は、彼らが真の信仰をもたらしたと言ったのではなく、『真の信仰を呼び戻すことへの希望』をもたらしたと言ったのである。それは、彼らが聞き入れられたのと同じように、我々もこれによってウァレンスとウルサキウスに対して聞き入れられうるようにするためであり、また、彼らに向けるべき懐柔的な呼びかけの言葉が、ただ厚かましい罵りの醜さだけを免れるようにするためであった。もっとも、私は後続の部分(とくに第91節)で、いっそう苦々しく、さらに不名誉な仕方で、提示に潜む躓きを暴こうとしていたのである。
Caput V
第V章PL 10, 547AAptatur his num. 80: Oro autem vos, sanctissimi viri, ut cum bona venia sollicitudines meas aestimetis. Pro prudentia vestra expendite, quid sit a sanctissimis viris poscere, ut cum bona venia audiant dicentem; et an ejusdem sit adulari, et objurgare.
PL 10, 547Aこれらに次の第80節が当てはまる。『しかし、最も聖なる人々よ、私は諸君に願う。どうか寛大な赦しをもって、私の憂いを推し量ってほしい。』――諸君の知恵に従って、考えてほしい。最も聖なる人々に、寛大な赦しをもって語る者の言葉を聞くよう求めることが何であるか、また、へつらうことと叱責することが同じ者のなすことであるかどうかを。
Hoc ideo ita dictum est, quia quae ad praesens tacita ab his ( Legatis Sirmium missis ) fuissent, eram proditurus (num. 90 et 91) ; non tamen in his, quae possent tamquam excusabilia defendi, viderer calumniari.
PL 10, 547Aこれがこのように述べられたのは、これらの者たち(シルミウムに遣わされた使節たち)が当面黙っていたことを、私が暴こうとしていたからである(第90節と第91節)。それでも、弁明として擁護されうるような点については、私が中傷しているように見られないようにするためであった。
Caput VI
第VI章PL 10, 547AAttinet ad haec num. 87: Et ego invitus licet, respondebo, etc. Satis absolute, Domine frater Lucifer, cognosci potuit, invitum me homoeusii mentionem habere. Sed quia tu similitudinem Filii ad Patrem praedicabas, demonstratio ejus a me fuit exponenda sine vitio.
PL 10, 547A次の第87節に関わる。『そして私は、望まないながらも答えよう、云々。』――尊敬する兄弟ルキフェルよ、私がホモイウシオスに言及するのは不本意であることは、十分に明白に知られえたはずである。しかし、汝が子の父への類似を宣べていたので、その説明は、私によって欠陥なく提示されねばならなかった。
- ホモイウシオス(ὁμοιούσιος、ラテン語 homoeusion/similis substantiae)=「類似実体の」。350年代に、アンキュラのバシレイオスら東方の司教たちが唱えた語で、子は実体において父に「似ている」と言う。子を被造物とし、父に「似ていない」とする人々(アノモイオイ)を退けつつ、ホモウシオスへの警戒も保つ立場である。ホモウシオスとはギリシア語で一文字(ι)しか違わない。
Caput VII
第VII章PL 10, 547BHis subnectitur num. 88: Synodo Samosatenae subscribendum putas.. Subscribamus et Nicaeae synodo. Numquid et hic de homoeusione legentem, admonui, non aliter ostendens suscipi oportere, nisi ad unitatem substantiae referretur?
PL 10, 547Bこれに続くのが第88節である。『汝は、サモサタの会議に署名すべきだと考えるのか。……ニカイアの会議にも署名しよう。』――ここでも私は、ホモイウシオスについて読む者に、それは実体の一体性に関係づけられるのでなければ受け入れられるべきでない、と示すことによって、注意を促したのではなかったか。
- ホモイウシオス(ὁμοιούσιος、ラテン語 homoeusion/similis substantiae)=「類似実体の」。350年代に、アンキュラのバシレイオスら東方の司教たちが唱えた語で、子は実体において父に「似ている」と言う。子を被造物とし、父に「似ていない」とする人々(アノモイオイ)を退けつつ、ホモウシオスへの警戒も保つ立場である。ホモウシオスとはギリシア語で一文字(ι)しか違わない。
Caput VIII
第VIII章PL 10, 547BReprehensorum oculis exponit hoc num. 89: Et me movet (cum scandalo) homoeusii nuditas, etc. Anne quisquam me existimare poterit homoeusion velle suscipere, de quo ista tractavi?
PL 10, 547B彼は、批判者たちの目に、次の第89節を示す。『ホモイウシオスの裸のままの提示は、(躓きとともに)私をも動かす、云々。』――私がそのことをこのように論じたのに、私がホモイウシオスを受け入れようとしているなどと、誰が考えうるだろうか。
- ホモイウシオス(ὁμοιούσιος、ラテン語 homoeusion/similis substantiae)=「類似実体の」。350年代に、アンキュラのバシレイオスら東方の司教たちが唱えた語で、子は実体において父に「似ている」と言う。子を被造物とし、父に「似ていない」とする人々(アノモイオイ)を退けつつ、ホモウシオスへの警戒も保つ立場である。ホモウシオスとはギリシア語で一文字(ι)しか違わない。
Caput IX
第IX章PL 10, 547BHuic affine, adducitur post allata exempla eorum quae externa similitudine fallunt. Numquid et hic similitudinis negligens fui?
PL 10, 547Bこれと関連して、外面の類似によって欺くものの例が挙げられたのちの箇所が引かれる。――私はここでも、類似をおろそかにしただろうか。
Caput X
第X章PL 10, 547BConvenit his num. 90: Parcens enim adhuc de his nihil dico, quae Ancyrae cum scandalo decreta sunt. Anne existimor suspicionem ab his adimere, vel ea laudare quibus parco? Parcere enim, et cum dilatione ad hoc parcere, nihil improbi est et remissi.
PL 10, 547Bこれらに次の第90節が合致する。『というのも、私は今のところ遠慮して、アンキュラで躓きとともに決議されたことについては、何も言わない。』――私が、これらから疑いを取り除いている、あるいは私が遠慮しているものを称賛していると、思われているだろうか。遠慮すること、しかも後に回すためにこの点で遠慮することは、何ら悪しきことでも怠慢でもないのだから。
Caput XI
第XI章PL 10, 547BIn mss. decimo continuatum cadit in illa n. 91: Ut probari possit homoeusion, non improbemus homousion; item et in ista ejusdem numeri: Impium est quod audetis, etc. An hic similem substantiam aliud patior esse nisi unam? quae si non una sit antea confitenda, jam postea impie sit similis praedicanda.
PL 10, 547B写本では第10項に続けて連ねられ、第91節の次の箇所に当たる。『ホモイウシオスが承認されうるために、ホモウシオス(同一実体)を退けないようにしよう。』同じく、同じ節の次の箇所にも。『諸君が敢えてすることは、不敬虔である、云々。』――私はここで、類似実体を、一つの実体以外のものと認めているだろうか。それがまず一つであると告白されるべきでないのなら、そのあとでそれを似たものとして宣べることは、不敬虔であろう。
- ホモウシオス(ὁμοούσιος、ラテン語 homousion/unius substantiae)=「同一実体の」。ニカイア信条(325年)が、子は父と「同一実体」であると告白した語。子が父と同じ一つの実体をもつことを言う。聖書に無い語であり、父と子の区別を消す(サベリオス的な)理解を招くとして、東方の多くの司教に警戒された。
- ホモイウシオス(ὁμοιούσιος、ラテン語 homoeusion/similis substantiae)=「類似実体の」。350年代に、アンキュラのバシレイオスら東方の司教たちが唱えた語で、子は実体において父に「似ている」と言う。子を被造物とし、父に「似ていない」とする人々(アノモイオイ)を退けつつ、ホモウシオスへの警戒も保つ立場である。ホモウシオスとはギリシア語で一文字(ι)しか違わない。
Caput XII
第XII章PL 10, 548BSubjicitur post haec num. 91: Homoeusion nescio nec intelligo, nisi tantum ab similis essentiae confessione, etc. Numquid videor quod nescivi probare potuisse ( accipiendo homoeusion pro similitudine non substantiali )? Non utique.
PL 10, 548Bこれらののちに、第91節が続けて付される。『ホモイウシオスは、私は知らず、理解もしない。ただ、本質において似たものの告白によるほかは、云々。』――私が、知らなかったものを是認しえたと思われるだろうか(ホモイウシオスを、実体的でない類似の意味に取ることによって)。当然、そうではない。
- ホモイウシオス(ὁμοιούσιος、ラテン語 homoeusion/similis substantiae)=「類似実体の」。350年代に、アンキュラのバシレイオスら東方の司教たちが唱えた語で、子は実体において父に「似ている」と言う。子を被造物とし、父に「似ていない」とする人々(アノモイオイ)を退けつつ、ホモウシオスへの警戒も保つ立場である。ホモウシオスとはギリシア語で一文字(ι)しか違わない。
Sed quia fides catholica non debeat nisi per unitatem similitudinem credere; ut similitudinem tantum ad excludendam unionem commemoret, non ad discidium unitatis: idcirco me dixi, cum nomina homousii atque homoeusii nescissem, tamen per unitatem similitudinem recepisse. Hoc ipsum statim sequens sententia absolvit.
PL 10, 548Bしかし、公同の信仰は、一体性を通してでなければ類似を信じるべきではなく、そうして類似を、一体性の分裂のためではなく、ただ合一を排除するためにのみ持ち出すのである。それゆえに私は、ホモウシオスとホモイウシオスという名を知らなかったときにも、それでも一体性を通して類似を受け入れていたと言ったのである。まさにこのことを、直後に続く文が明らかにしている。
- ホモウシオス(ὁμοούσιος、ラテン語 homousion/unius substantiae)=「同一実体の」。ニカイア信条(325年)が、子は父と「同一実体」であると告白した語。子が父と同じ一つの実体をもつことを言う。聖書に無い語であり、父と子の区別を消す(サベリオス的な)理解を招くとして、東方の多くの司教に警戒された。