元老院議員弁論家書簡作家
- 生没
- c. 345年 – c. 402年
- 地
- ローマ
- 公開
- 1 作品 · 3125 節
経歴
クィントゥス・アウレリウス・シュンマクス(Quintus Aurelius Symmachus)は、ローマの元老院の名門の出で、伝統宗教(異教)の祭儀を守った人である。父ルキウス・アウレリウス・アウィアニウス・シュンマクスも首都長官を務めた。弁論家として名高く、皇帝への頌詞の断片が伝わる。373年ごろアフリカの属州総督(プロコンスル)、384–385年にローマの首都長官(praefectus urbi)、391年に執政官(コンスル)を務めた。神祇官(pontifex)でもあった。
384年、首都長官として、元老院議事堂から取り除かれた勝利の女神の祭壇を元に戻すよう、皇帝ウァレンティニアヌス2世に上申書(relatio)を送った。ミラノの司教アンブロシウスはこれに反対する書簡を皇帝に送り、願いは退けられた。この第3上申書は、アンブロシウスの書簡集にも収められて伝わる。同じころ、ミラノの弁論術の教師の職に若いアウグスティヌスを推した(アウグスティヌス『告白』5.13.23)。388年には帝位を奪ったマクシムスへの頌詞を述べたため、テオドシウス帝のもとで一時立場を危うくしたが、赦された。
書簡は、死後に息子メンミウス・シュンマクスによって10巻にまとめられたとされる。900通ほどの多くは元老院の友人・親族・高官に宛てた短い書簡で、推薦や挨拶、儀礼のやりとりが中心である。第10巻には首都長官として皇帝に送った上申書が入る。ミーニュの PL 18 の刷り(145–406欄)は、第10巻の終わりに、418–419年のローマ司教の選挙の分裂をめぐって、後の首都長官シュンマクス(同名の別人)とホノリウス帝などのあいだで交わされた文書を収める。