Patristica — 教父文献 日本語対訳 › 著者

ポンティウス Pontius diaconus

Pontius the Deacon · 師の最期を見届け、それを書き残した助祭。

ラテン教父助祭伝記作者
生没
不詳(3世紀前半) – 不詳(3世紀後半)
地
カルタゴ
公開
1 作品 · 132 節

経歴

分かっていることは多くない。カルタゴの司教キプリアヌスの助祭であり、258年の追放にも付き従った——それがほぼすべてである。

ヒエロニュムスが『著名者列伝』で彼に触れ、キプリアヌスの生涯と受難を記した書を残したと述べている。その一書が本人について語る唯一のまとまった手がかりでもある。

生没年は伝わらない。キプリアヌスが斬首された258年のあと、彼自身が迫害を生き延びたのかどうかも分からない。残ったのは書物だけである。

主張

彼が書いたのは論争の書でも教理の書でもない。一人の人物の生涯を、受洗から斬首まで順に追った記録である。

それまでのキリスト教の文章で、個人の一生をこの形で扱ったものはラテン語圏に無かった。現存する最古のラテン語キリスト教伝記とされるのはそのためで、それまでの殉教者行伝——裁判と処刑の場面だけを写し取る短い記録——から、後の聖人伝へ移る境目に立っている。

第1章で彼は書く理由を述べる。異教徒でさえ自分たちの英雄の行いを書き留めてきたのに、司教であり殉教者であった人の生涯が忘れられてよいはずがない、という趣旨である。

書きぶりには弁明が混じる。キプリアヌスは一度、迫害を避けて身を退いている。「獅子に与えよ」と叫ばれるなかを去ったその判断について、著者は神の摂理の計らいであったと説き、逃亡ではなかったと論じる(第7–8章)。師を弁護する助祭の声が、そこだけ強くなる。

もう一つ、よく引かれるのが疫病の場面である(第9–10章)。カルタゴを疫病が襲ったとき、キプリアヌスは信徒に、自分たちを迫害している異教徒をも助けよと説いた、と著者は伝えている。

代表作

『キプリアヌスの生涯と受難』——本サイトはこれを全19章132節で訳している。ミーニュ版での所在は PL 3, 1481C–1498B。

受洗後の節制と施し、聖職への昇叙、新受洗者のまま司教に立てられたこと、追放、クルビスでの幻、そして総督の法廷から斬首までが、順を追って語られる。最後は、カルタゴの司教として最初の殉教者であったという一句で閉じられる。

目撃者の記録であることが、この書の値打ちである。著者は追放に同行しており、書かれている多くの場面にその場で居合わせている。

本サイトで公開している著作