ギリシア教父司教修道制の歴史家
- 生没
- c. 363年(ガラティア) – 431年以前
- 地
- ガラティア/エジプト/ヘレノポリス(ビテュニア)
- 公開
- 1 作品 · 183 節
経歴
ガラティアに生まれ、若くして修道生活に入った。エジプトのニトリアとケリアの修道士たちのもとで十年ほどを過ごし、エウアグリオスに学んだ。400年ごろビテュニアのヘレノポリスの司教となった。
コンスタンティノポリスの司教ヨアンネス・クリュソストモスを支持し、その失脚ののちローマへ赴いて弁護したが、帰国後に捕らえられ、エジプトに流された。クリュソストモスの生涯を対話の形で弁護した『クリュソストモス伝についての対話』を書いた。のちにガラティアのアスプナの司教となった。
宮廷の侍従ラウソスに献げた『ラウソス修道者史』(420年ごろ)は、エジプトとパレスティナの修道士・修道女の言行を伝え、古代の修道制の歴史の主要な資料である。
インドの諸民族とバラモンについてのギリシア語の小著もパラディオスに帰される。そのラテン語版は訳者が分からず、中世にはミラノのアンブロシウスの名で伝わり、ベネディクト会版はアンブロシウスの著作集の付録に『バラモンの風習について』の題で刷った(ミーニュの PL 17 はその再刷)。
PL 17 の1131–1146欄に『バラモンの風習について』が収められている。