- 生没
- 不詳(2世紀後半) – 不詳(3世紀前半)
- 地
- ローマ(出身は北アフリカと推される)
- 公開
- 1 作品 · 334 節
経歴
生没年は分からない。伝わっているのは、ローマで弁論を業とした人であったこと、そして『オクタウィウス』という対話篇を一つ書いたことだけである。
北アフリカの出身と考えられている。作中に出てくる人物——議論の相手カエキリウス・ナタリス、そして題名になった友人オクタウィウス・ヤヌアリウス——の名は、いずれもアフリカの碑文に見える名であり、カエキリウスは自分をキルタ(現アルジェリアのコンスタンティーヌ)の出と語る。著者自身も同じ土地の人であった可能性が高い。
ラクタンティウスとヒエロニュムスが、彼をローマで名の通った法廷弁論家として挙げている。ヒエロニュムスは『デ・ファト(運命について)』という別の著作にも触れているが、これは伝わっておらず、本当に彼のものであったかも定かでない。**現存するのは『オクタウィウス』ただ一篇である。**
その一篇も、危うく失われるところだった。中世を通じて、この作品はキプリアヌスの著作集の中に紛れ込み、『異教徒の空しさについて』の第8巻として写されていた。16世紀に、これがキプリアヌスの文章ではないと見抜かれ、著者の名が戻された。
主張
彼のやり方は、他の護教家とはっきり違う。**聖書を引かないのである。**
41章を通じて、聖書からの引用は事実上ない。キリストの名も正面からは出てこない。代わりに引かれるのはプラトン、ストア派、ウェルギリウス、そして何よりキケロである。相手が読んできた本の中から論拠を取り、相手の土俵で論じるという構えを、彼は最後まで崩さない。
論じられているのは、神が一つであること、世界に摂理が働いていること、異教の神々の正体は堕ちた霊であること、そしてキリスト教徒に着せられた噂——秘密の集会で幼児を殺し、近親相姦の宴を開き、驢馬の頭を拝んでいるという噂——がいずれも事実でないこと、である。
この噂の記録という点で、この作品は史料として重い。**2世紀のローマ社会がキリスト教徒に何を疑っていたかが、最もまとまった形でここに残っている。**しかもそれは、著者が反駁するために、相手の言い分として丁寧に書き留めたものである。
テルトゥリアヌス『護教論』との間には、言い回しの一致する箇所がいくつもある。どちらが先かは19世紀から論じられていて、いまも決着していない。この作品の年代が「197年頃から250年頃まで」という幅でしか言えないのは、そのためである。
代表作
『オクタウィウス』——オスティアの海辺を歩く三人の友人の対話。異教徒カエキリウスが伝統の祭祀を弁護し、キリスト教徒オクタウィウスが答え、語り手マルクス(=著者自身)が審判役を務める。キケロ『神々の本性について』を範にした形式で、決着は最終章に置かれる。
本サイトはこれを全41章334節で訳している。底本はミーニュ版そのもので、ミーニュ版での所在は PL 3, 231B–366C。**章の数が近代の校訂版と一つ違うのは、ミーニュ版の組み方による。**Halm の校訂版(CSEL 2, 1867年)以下の近代諸版は40章に分けるが、ミーニュ版は最後の章を二つに分けて41章とする。この版は章番号をミーニュ版に従える。
この作品には欄番号を本文に持つミーニュ版の翻刻が存在しないため、欄番号は作品の両端から按分した推定値である(サイト上では推定の印が付く)。