ラテン教父ニカイア派
- 生没
- 不詳 – 370/371年
- 地
- カリアリ(サルディニア)
- 公開
- 7 作品 · 2248 節
経歴
サルディニアのカリアリの司教。354年、ローマ司教リベリウスの使節として、司祭パンクラティウスとともに皇帝コンスタンティウス2世のもとへ遣わされ、教会会議の開催を求めた。355年のミラノ教会会議でアタナシオスの断罪に同意することを拒み、流刑に処された。流刑地(シリアのゲルマニキア、パレスティナのエレウテロポリス、のちテバイス)から、皇帝を名指しで責める論駁の書を送った。361年の皇帝ユリアヌスの即位ののち流刑を解かれ、アンティオキアでパウリヌスを司教に叙階して、この町の分裂を深めた。アレイオス派の信条に署名した司教たちを寛大に受け入れる方針に反対し、サルディニアに戻って没した。その厳格な立場を継ぐ人々はルキフェル派と呼ばれた。
PL 13 の後半に、エウセビウス宛ての書簡、『異端者と交わってはならないこと』『背教の王たちについて』『聖アタナシオスのために』『神に対して罪を犯す者を容赦してはならないこと』『神の子のために死ぬべきこと』と、フロレンティウス・アタナシオスと交わした書簡が収められている。
本サイトで公開している著作
De non conveniendo cum haereticis『異端者と交わってはならないこと』PL 13, 767D–794A · 1 caput · 204 §De non parcendo in Deum delinquentibus『神に対して罪を犯す者を容赦してはならないこと』PL 13, 935C–1008A · 1 caput · 535 §De regibus apostaticis『背教の王たちについて』PL 13, 793B–818A · 1 caput · 190 §Epistola ad Eusebium Vercellensem『ヴェルチェッリのエウセビウスへの書簡』PL 13, 765A–766A · 1 caput · 5 §Epistola Luciferi ad Florentium『ルキフェルのフロレンティウス宛て書簡』PL 13, 935C–936C · 1 caput · 2 §Moriendum esse pro Dei Filio『神の子のために死ぬべきこと』PL 13, 1007C–1038A · 1 caput · 227 §Pro sancto Athanasio libri II『聖アタナシオスのために』PL 13, 817C–935A · 2 capita · 1085 §