- 生没
- c. 347年(ストリドン) – 420年(ベツレヘム)
- 地
- ストリドン/ローマ/ベツレヘム
- 公開
- 2 作品 · 6 節
経歴
ダルマティアとパンノニアの境にあったストリドンに、347年ごろ生まれた。ローマで学んだ——文法家ドナトゥスに就き、古典の修辞を身につけている。その教養は生涯離れなかった。
若いころシリアの砂漠で隠修士として過ごし、そこでヘブライ語を学び始めた。これが後の仕事を決めた。当時の西方でヘブライ語を読める者はほとんどいない。
382年、ローマ司教ダマススの秘書となる。福音書のラテン語訳を改訂せよと命じられたのがここである。ダマススの死後ローマを去り、385年からベツレヘムに修道院を構えて、そこで残りの三十五年を過ごした。
420年、ベツレヘムで没した。
主張
「ヘブライ語の真実へ」(*hebraica veritas*)——これが彼の旗印である。
それまで西方が読んでいた旧約は、ギリシア語の七十人訳から重ねて訳したものだった。ヒエロニュムスはヘブライ語の原文から訳し直すべきだと主張した。同時代のアウグスティヌスはこれに反対している。七十人訳は教会が使ってきたものであり、訳を替えれば会衆が混乱する、と。論争は決着しないまま、事実として彼の訳が広まった。
もう一つ、彼は論争の人だった。オリゲネスの評価をめぐってルフィヌスと決裂し、聖遺物崇敬をめぐってウィギランティウスと、修道生活の優位をめぐってヨウィニアヌスと争っている。筆致は容赦がない。古典の修辞をそのまま論敵に向けた。
夢の中で「お前はキケロ主義者であってキリスト者ではない」と責められた、という有名な述懐がある(書簡22)。古典の教養と信仰との折り合いは、彼にとって最後まで問題であり続けた。
代表作
『ウルガタ』——旧約をヘブライ語から、新約を既存のラテン語訳の改訂として仕上げた聖書。西方の標準訳として千年以上用いられた。
『著名者列伝』(*De viris illustribus*、393年ごろ)——ペトロからヒエロニュムス自身まで、キリスト教の著述家135人を一人ずつ短く紹介した書。本サイトが収めているのはこの第66章、コルネリウス教皇についての項である(PL 3, 675D–678A)。ミーニュがコルネリウスの項の冒頭に歴史的注記として掲げたもので、76語しかない。
この一書は、古代キリスト教の著作の多くについて、我々が持つ唯一の目録である。失われた書物の題名がここにだけ残っていることも珍しくない。コルネリウスの項も、キプリアヌスとの往復書簡が八通あること、ファビウスに宛てた四通の内容を伝えており、そのうち現存しないものが含まれる。
ほかに膨大な聖書註解と、150通を超える書簡がある。ミーニュ版では PL 22–30 を占める。