司教説教者
- 生没
- 不詳(4世紀半ば) – 406年以後(410年頃とも)
- 地
- ブレシア(北イタリア)
- 公開
- 1 作品 · 1135 節
経歴
ガウデンティウス(Gaudentius)はブレシアの司教フィラストリウスのもとで育ち、フィラストリウスの没後(380年代後半)、東方の聖地を巡礼していたあいだに後継の司教に選ばれた。帰ることを拒んだが、北イタリアの司教たちと東方の司教たちに促されて戻り、ミラノのアンブロシウスによって叙階された。叙階の日の説教が伝わる。巡礼の途中カッパドキアのカイサレイアで、大バシレイオスの姪たちである修道女から四十人の殉教者の聖遺物を受け、ほかの殉教者の聖遺物とともにブレシアに建てた聖堂(「聖人たちの会議」)に納めた。
405年、ローマの教会会議とホノリウス帝の名で、追放されたヨアンネス・クリュソストモスのためにコンスタンティノポリスへ遣わされた使節の一人となったが、使節は目的を果たせずに追い返された。クリュソストモスはガウデンティウスに感謝の書簡を送っている。ルフィヌスは『クレメンス再認』のラテン語訳をガウデンティウスに献げた。没年は確かでなく、406年以後、410年頃とされる。祝日は10月25日。
著作は説教21篇と、それを送ったミラノのベニウォルス宛ての序が伝わる。前半10篇は復活祭の週に新受洗者たちに語った出エジプト記と福音書の朗読についての説教で、後半11篇はさまざまな機会の説教と書簡の形の答え、前任者フィラストリウスの命日の講話である。PL 20(823–1006欄)はガレアルディ版(1738年)により、ガウデンティウスについての証言と説教、フィラストリウスをたたえる作者不詳の詩を収める。