ローマ司教ラテン教父
- 生没
- 305年頃 – 384年
- 地
- ローマ
- 公開
- 4 作品 · 203 節
経歴
ローマ(あるいはヒスパニア)の生まれとされる。366年10月、リベリウスの没後にローマ司教に選ばれたが、ウルシヌスを立てる一派と争い、死者の出る騒乱となった。在位中、ローマで教会会議を重ねてアポリナリオス派やマケドニオス派を退け、東方の教会、とくにアンティオキアの分裂に関わった。ヒエロニュムスを秘書として用い、聖書のラテン語訳の改訂を促した。384年12月11日に没した。
ローマのカタコンベの殉教者の墓を整え、その墓に自作の詩を刻ませた。PL 13 には彼の書簡と教令、詩、ミーニュの補遺、そして彼の名で伝わる偽作の書簡が収められている。