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- — – —
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- カルタゴ
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- 2 作品 · 491 節
この名について
これは人ではない。ミーニュ版『ラテン教父全集』は教会会議の決議や書簡を、会議そのものを主体として収める。本サイトはその扱いをそのまま用いているので、著者ページとしては異例のものになる。
古代の教会会議の文書には、書いた個人の名が残らない。議場で合意された文言が、会議の名で発せられるからである。誰が起草したかは問われない。
ただしこの書簡だけは例外に近い。冒頭に参加した司教たちの名が連ねてあるので、誰が決めたのかは分かる。キプリアヌスの名が先頭に立つ。
三世紀のカルタゴ教会会議
アフリカの教会は、司教たちが集まって決める習慣を早くから持っていた。ローマ司教の裁定を仰ぐのではなく、地域の司教が連名で決める。この形が、のちの西方教会の会議制度の下地になった。
三世紀半ばのカルタゴでは、キプリアヌスのもとで会議が繰り返し開かれている。扱われたのはデキウス迫害のあとの二つの難問——迫害下で信仰を捨てた者(lapsi)を教会へ戻すか、そして異端者のもとで受けた洗礼を認めるか。
前者についての決定が、本サイトの収める書簡である。後者は、同じ巻に入る『再洗礼について』や『ローマ教会会議決議』が扱う争いへ続いてゆく。
ここに入っている文書
『カルタゴ教会会議 教会会議書簡』(PL 3, 852B–862A)——背教した者を、新たな迫害が迫るなかで交わりに戻すかどうかを決めた書簡。「戻す」と決めている。
以前の会議は迫害の終わりまで待つと定めていたが、それを改めた。牧者は危険のさなかに羊を見捨ててはならない、というのが理由である。ただし棄教してこの世に戻った者と、悔悛を続けてきた者とは区別する。
結びの一句が印象に残る——和解を拒めば、我々の口が神の慈愛より人間の冷酷を語ることになる。
ミーニュの紙面には、この書簡の前に二つの項がある。どちらも編者による会議の説明(Carthaginense concilium hoc habitum est... anno Domini 254)であって会議自身の記録ではないので、本サイトは訳出していない。