ギリシア教父使徒教父ローマ司教
- 生没
- 35年頃 – 99年頃
- 地
- ローマ
- 公開
- 2 作品 · 518 節
経歴
生涯についてはほとんど分からない。エイレナイオスは、ペトロとパウロのあとリノス・アネンクレトスに続く三人目のローマ司教として彼を挙げ、使徒たちを直接知っていたと記している。確かなのはそこまでである。
殉教したという伝えは4世紀以降のもので、同時代の証しは無い。錨を付けて海に沈められたという話は、さらに後の伝説である。
『クレメンスの手紙 一』
96年頃、ローマの教会からコリントの教会に宛てて送られた。コリントで長老たちが職を追われる争いが起き、それを収めるために書かれている。
手紙自身はクレメンスの名を出さない。差出人は「ローマに寄留する神の教会」であり、彼の名を結びつけたのはコリントのディオニュシオスやエイレナイオスら、後の証言である。本サイトが「ローマのクレメンス」の名で収めるのも、その伝統に従ってのことである。
新約聖書の外にある、年代の分かる最古のキリスト教文書のひとつであり、ローマの教会が他の教会の争いに口を出した最初の例としても読まれてきた。
『クレメンスの手紙 二』
クレメンスの作ではない。手紙ですらなく、2世紀半ばの説教である。写本が『第一の手紙』のうしろに置いて伝えたために、彼の名で呼ばれてきた。
現存する最古のキリスト教の説教とされる。ミーニュも第1巻に並べて収めており、本サイトもその並びを保つ。