ローマ司教
- 生没
- 不詳 – 422年
- 地
- ローマ
- 公開
- 2 作品 · 214 節
経歴
ボニファティウス1世(Bonifatius I)はローマの人で、司祭ヨクンドゥスの子。418年12月、ゾシムスの没後に、助祭長エウラリウスとほぼ同時に別々に選ばれ、二重選挙となった。首都長官シュンマクスの報告を受けた皇帝ホノリウスははじめエウラリウスを認めたが、双方の言い分を聞いたのち、エウラリウスが命令に背いてローマに入ったことから、419年4月にボニファティウスを正当な司教と認めた。
在位中、ペラギウス派に対する前任者たちの断罪を守り、アウグスティヌスは『ペラギウス派の二書簡駁論』を彼に献じた。使徒座への上訴をめぐってはアフリカの教会とのやりとりを引き継ぎ、テッサロニケの司教ルフスを使徒座の代理として、コンスタンティノポリスの司教座の権限を広げようとする皇帝テオドシウス2世の勅法に対してイリュリクムに対するローマの管轄を守った。422年9月に没した。
PL 20(746–792欄)に、ミーニュがコスタンの版から彼の書簡と関係文書、教令の摘要、彼に帰せられた書簡を収める。