司教教会会議の議長
- 生没
- 不詳(4世紀半ば) – c. 430年
- 地
- カルタゴ(北アフリカ)
- 公開
- 1 作品 · 4 節
経歴
アウレリウス(Aurelius)はカルタゴの教会の助祭を務めたのち、391年ごろカルタゴの司教となった。カルタゴの司教はアフリカの諸州の教会の首座で、アウレリウスは393年のヒッポの教会会議からほぼ毎年のようにアフリカの教会会議を主宰し、その規定は『アフリカ教会法典』(Codex canonum Ecclesiae Africanae)にまとめられて伝わる。ヒッポの司教アウグスティヌスとは親しく、アウグスティヌスは『三位一体論』や『修道士の労働について』をアウレリウスに献げた。
411年のカルタゴ協議会ではカトリックの側の代表の一人としてドナトゥス派と論じ、418年5月の全アフリカ教会会議ではペラギウスとカエレスティウスの教えを断罪した。419年、ホノリウス帝の勅令を受けて、ビュザケナとアルズギタナの司教たちに断罪への署名を求める回状を送った。没年は確かでなく、430年ごろとされる。祝日は7月20日。
PL 20(1007–1016欄)は、編者の告知のあとに、この回状と、『シュノディコン』の中のアウレリウスの教会会議の記事、アウレリウスの名による偽作のダマスス宛ての書簡を収める。