ラテン教父北アフリカ護教
- 生没
- 255年頃 – 330年頃
- 地
- シッカ・ウェネリア(ローマ属州アフリカ)
- 公開
- 2 作品 · 1850 節
経歴
北アフリカのシッカ・ウェネリアで修辞学を教えていた。ヒエロニュムスによれば、彼は異教徒として名を成しており、キリスト教を攻撃していた。夢を見て回心を願い出たが、司教はその変わりようを信じなかった。
そこで彼が信仰の証しとして差し出したのが、この七巻である。303年から310年ごろ、ディオクレティアヌスの大迫害のさなかに書かれた。
弟子にラクタンティウスがいたと伝えられる。本サイトの PL 6–7 はそのラクタンティウスの巻であり、師弟が続けて並ぶことになる。
この作品の性格
来歴が本文にそのまま出ている。キリスト教の教理には不案内で、聖書をほとんど引かない。教会の用語も使い慣れていない。魂については、神から出たものではなく中間の性質を持つという、教会の説とも合わない独自の考えを述べる(第II巻)。
その代わり、異教の神話と祭儀にはきわめて詳しい。ローマの些末な神々を職掌ごとに列挙し(第IV巻)、エレウシスや大母神の秘儀の細部を語り(第V巻)、神像の材質と犠牲の作法を数え上げる(第VI–VII巻)。攻撃するために知り尽くしていたものを、そのまま書き並べた。
古代の宗教史の史料としての値打ちは、神学書としてのそれより大きい。失われた資料——ヴァロやコルネリウス・ラベオ——を通じてしか知られない事柄が、ここに残っている。
文章
修辞学の教師の文章である。文が長く、畳みかけの疑問文と反語が続き、語彙が凝っている。本サイトの訳では、その畳みかけを刈り込まないことを方針とした——三つ並んだ「なぜ〜か」を一つにまとめると、相手を追い詰める調子が消えるからである。